携帯からの日記です。
いじめが問題になっている。
NHKの番組で、相談を受けるフリースクールの先生がこう言っていたわ。
大人の価値基準で「こうすればいいじゃん」って言うと、子どもは黙ってしまう。
同じ立場にたって、一緒に考えていかなくてはならない、と。
友達でも、恋人でも、子どもでも人に接するポイントは同じなんだよね。
何か問題が起きて、相手のせいばかりにしたり、
私怨を抱いたりすることばかりしていたら、
大切なことを忘れて中身の無い人間になってしまうし、
そんな人が結婚して子どもを持ったとしても、
小さな頃から父親の文句を子どもに言ったり(逆もあり)性格に影響を与えてしまうよね。
そんな風にはなりたくはないんだ。
何か問題が起きて、自分だけで悩んだり解決しようとしたって、
人はひとりで成り立っているのではないし、
答えが出たとしても、どこかひとりよがりで優しさを見失っていたり、
自分勝手な解釈になっていたりするだろうしね。
じゃあどうしたらいいか、それはやっぱり、
一緒に解決しようと向き合うことだよね。
最近の小学生は、誰かに相談するよりも自分で解決したほうがいい、という子が多い。
それは確かに、すぐに他人に依存しないで自己を高めるためならばいいけども、
悪い習慣化になると、 相手を思いやれない子 になると思う。
なぜなら価値判断が自分基準だからだよね。
先に書いた、フリースクールの先生の言葉を再度見直すと、
大人は、価値基準を子どもに上から振り下ろしながら話す。
子どもが黙るのは、ぽん、と突き放された気がするからなんじゃないかな。
言わないんじゃなくて、言えないの。
同じフィールドに立っていない視点からものを言われても、それは虚しくなるだけだよね。
ある高校生が言ってた。 まず子どもの話をちゃんと、ぜんぶ最後まで聞いてほしい。
その上で、何か役立つことを言ってほしいと。
話の途中で判断して、中途半端にじゃあこうすればいいじゃんって言われて、
黙ってしまったことが私にもある。
子どもから大人にただでさえ言いづらいことだったのに、
空気を読んでくれず途中で遮断させられたような悲しさを覚えた。
やはり、いい関係は築けなかった。当たり前だけどね。
でも本当なら、ここで諦めずに自分から殻を破りに行ったほうがよかったのだろうなとも思う。
じゃあどうしたらいいか、の問題にぶち当たったら、それはやっぱり、
一緒に解決しようと向き合うことだよね。
なんだかこんな単純なことが薄れていってしまっている世の中が怖いなと、
ほうじ茶をすすりながら思う。
だけど。
こちらも遮断せず、せめて近しい人に対して、
その人の立場になるべくたった上で考えたりしたい。
環境は違うけれど、あくまで自分だったらその状況でどうするかじゃなくて、
どうしてその状況でそう思ってしまっているんだろうとか、原因などを知ろうとすることや、
その上で自分と考え方が違ったとしてもそうなんだな、と
納得できるまで考えてみる事って大切だと思う。
書いているほど実際は簡単なことじゃないのかもしれない。
だけど諦めたらやっぱりそこで終わっちゃうんだ。
