- 2007年3月11日 23:49
- 覚え書き
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朝からぐるぐると思考が止まらない。歯痛の毒々しい脈打ちと共に、
吐き出されるリビドーに酔いつぶれてしまいそうです。昨日は酷い一日だったとか、あまり書きたくない、
なるべくなら悪い事があったとしても良かったことを多く残したいけれど、
それは上滑りしていて、設定した自分という枠内からはみださないように必死であり
ある意味滑稽なのかも知れない。
妄想性パーソナリティ障害(人を心から信じられない人)にかなり当てはまっていることを知る。
なにしてるの?と聞かれることが理解しがたく、うん、まあねとはぐらかしたい。
**の仕事してるよ、へえどこで?**市で。ふーん。どんなもの扱ってるの? うーん、若い女性対象かな。
と延々と下手したら続き、まるで誘導尋問されているような不快感を感じる。
相手はただの話の繋ぎというか、会話のつもりだと言うことはわかるのだけど、
そういうやりとりに対して私はなんの生産性も感じないし、正直他人がなにして生きているだとか、
どこに住もうが、興味ないのだ。だから他人が軽々しくそんなことを聞いてくると、
そんな事しか聞けないのかとがっかりすることもある。何しているかなんて知ってどうするのかなって。
他人に、私以外の第三者に対して勝手に話されることが不快だと、以前書いた。
やはり他人は勝手に人が話した情報を横に横にと尾鰭を付けて井戸端会議のオバチャンみたいに
下品に垂れ流し交流する、そのことが気持ち悪い、なにか巻き込まれて大変だとかならわかるのだが、
何もないのにそういうやりとりをする人に対してかなり下等な印象を受けてしまうのだ。
だけどそれは、専門書を読み進めていくと、こう思う事に対しての説明がなされており、
私はただ頷くと共にその生きづらさを治したいと願う。この障害に共通していることは、
堅い印象を抱かせるというものだ。雰囲気や言葉の端々、顔だったり性格的にだったり。
こうなった原因はPTSDだと思う。酷くショックなことがおきて、
実際酷く脅されたり監禁されたりしたことが引き金だと思う。
よく言われる、ちょっと堅いんじゃないって。PTSDの影響か、エロ話に対して強い不快感を抱くのは、
男性がするからで女性に対してはほとんど感じないし(勿論TPOは守ってもらいたいが)、
ただ下品になんのオチもないと少しがっかりするだけで、時には面白おかしいと思うことさえある。
男がすると本当に嫌悪感を感じるし、過去を知っているのにそういう話をするなんて、
この人はわたしを傷つけたいのかな、なんて妄想性パーソナリティの人間は思ってしまうのだ。
そこに境界例が加わると、そんな相手に対してグレーゾーンに配置することが難しく、
関わりたくないという黒の部分に移動されるのだ。だけどそこに配置されてしまえば、
妄想性の原点である他人への諦めから、ある意味落ち着いてしまいどうでもよくなってしまう。
人は誰もが孤独を感じているから誰を大切に思えたりするのだろうけど、
例えば喧嘩したりすると相手の本性が見えたりするでしょう、
きれいごといってたって自分のエゴを満たしてくれないとふてくされたり。
相手は自分のことを理解してくれてないとか、自分にはもっとイイ人がいるんじゃないかだとか思って、
カップルは二股かけたり配偶者を裏切ったり。むなしい世の中だなあ。
そこに反社会性パーソナリティの人間が加わると、完全に他人を信用していない、
他人を傷つけることで自分の強さがあがると感じている人たちの餌食になる。
例をあげれば俺俺詐欺とか、悪質訪問販売だとかのニュースを見て我々は、
ますます信じられない世の中だと思いながら小さな殻に閉じこもって満たされないエゴが
ますます膨らんでいくのだろう。今の世の中の人々はどうしてパーソナリティについて深く知ろうとせず、
ただきちがいだとか精神科を白い目で見たりするのだろう、
現代病とさえ言われているその対象を知ろうとしないのに現代を語られてもまるで説得力もない。
他人のいやな部分を見て非難することは、自分の反対側にも存在している
普段は隠された汚い部分を見るのがいやだというエゴイズムに繋がっていると思う。
人は自分の鏡という言葉はこういうことに気付きなさいと言う教えである。
他人がいなければ自分と比較して様々な感情や文章は出て来ないため、すべてを否定的に考えているわけではない。
わたし含め今の世の中に生きづらさを感じている人々は他人を信じられないという孤独を抱えて生きているけれど、
決まった数式が解けるのであればよい意味で対処していけるはずだと信じたい。
まずは自分にそう言い聞かせる、自分が出来ると思わなければ。
ただなんの裏付けもなく思うことはただのおごりにしかならないが、
他人のいやな部分なんて関わりたくない、知りたくもない、とはねのけずに、時間がかかっても歩み寄れるような人間になりたいと思う。
それは則ち生きる強さにも繋がることだから。最初からうまくは出来ないと思うけど、
いやな、嫌いな人の立場にたって考えること。かなり疲労困憊になりそうだけど…、
他人からしか学べないことの一つだから。
それは雑草の中の小さな芽に気付く視点に似ているなあと感じた、
気付くという意識の中にもまた深い意識が眠っているのだし。
写真でそういうのを見ると、この人は多かれ少なかれそういう感性を持っているのだと知り、
少し他人に対して嬉しくなったりするものだ。
生きづらさを、小さな発見を大きな幸せと感じられるこころを。
自分は無価値である、と卑下するBPDに対しても
時間がかかってもアプローチしていければいいなと思う。
以上、携帯からPCに送った戯言でした。(途中加筆あり)
文章読んでくれた人がいたら、見づらかったらゴメンナサイ。(;゚Д゚)

落ちてる→顔パック中→なんとかお風呂に入り、新しいOPを着てみる→あまおう食べる、かなり大きいの図。
Peace.

友が食べたいといっていたので黄金屋のモツ鍋。しょうゆ味。
ここに来るまで何度意識を失ったことか。。〆に我慢できずにちゃんぽん麺、美味しかった。